初めての別れ、最後の約束

2015-03-23


最近、なんで政治家を目指したの?いつからなりたいと思っていたの?
と聞かれることが多くあります。

いつからなりたいと思ったのか、何故政治家を目指すようになったのか。
その最初のきっかけについて書きます。
自分の原点回帰、出発点の確認の為にここに記しておきます。

私の祖父は東家嘉幸といい政治家国会議員を7期勤続19年務め熊本日本の為に尽力いたしました。
だから、小さい頃から政治というものが身近にあり、あまり抵抗感がなかったと思います。
しかし、祖父が何をしているのか、どういう人なのかということはほとんど知りませんでした。
祖父は家では孫が大好きな普通のおじいちゃんで私たちにそういう姿を見せなかったからかもしれません。

本当にひょうきんなおじいちゃんで色々な遊びを教えてくれました。
スズメの取り方や、虫の捕まえ方、一緒に釣りに行ったことも覚えています。
だから、祖父は私の中ではただのじいちゃんでした。

そんな祖父ですので、
私は恥ずかしながら国会議員がどれほど凄いのか、祖父がどれだけ働いているのか全く知りませんでした。

私が政治に強く興味を持つようになったのは、祖父が亡くなる時でした。
祖父祖母含め小さいころから一緒に暮らしていた私はこの生活がずっと続くと思っていました。

しかし、17歳のある日授業中に担任の先生に呼ばれました。
「北九州に入院していた祖父の容体が急変したから病院に向かうように親御さんから連絡があった。
今すぐ病院に行きなさい。」
そう言われ私は教室から鞄を取り、寮に戻りすぐ駅へ向かいました。

先週お見舞いに行ったときはピンピンしていたのに。
フグの干物が食いたいと言われ1日中探しまわった。
肉まんも買っていった。
俺はしばらく元気だから、ばあちゃんのところに行ってやれ。

先週まで元気にしていた祖父とのことを思い出しながら
初めて身内が亡くなるかもしれないという現実を受け入れられず
どうせ、大丈夫だろうなんて考えながら北九州まで向かいました。

じいちゃんは母が見舞いに行ったときに急変したので
すでに母はおりました。
母は熊本に祖母と弟を迎えに行くために一度熊本に戻ることになりました。

祖父はICUにおり、私は祖父の様子を見に行きました。
先週会った時と違い色々な機器が意識のない祖父についておりました。
「じいちゃんしっかり」
想像以上の光景に私は声をかけることしかできませんでした。
高校生で何もできない私は傍にいることしかできませんでした。

気がつくと家族がみんな集まっていました。
孫が大好きだった祖父の為にと兄と弟3人で交互に休みながら常に誰かが傍にいるようにしました。

沢山の方が祖父の元を訪れて頂きました。
たまに意識が戻ったりしていました。
しかし、もう永くないどれだけもつか分からない状態でした。
これが最後だと覚悟を決めていつも傍についていました。

私が祖父の隣についていると祖父が目を覚ましました。
何か言わないと、何か言わないと。
「じいちゃん、僕政治家なるよ。」
祖父は酸素マスクがついた顔で私のほうを見ながら何度も頷きました。

未だになんでこう言ったのか、分かりません。
ただ祖父を喜ばせたくて言った言葉だったのかもしれません。
これが私が祖父とした最後の会話であり最後の約束になりました。
そして、私の夢が始まりました。
祖父の葬式には非常に多くの方が来られました。
初めて多くの皆様の為に働いた祖父の偉大さを知り、
『自分の人生を地域の為に捧げた』祖父を尊敬しそんな生き方を格好いいと憧れました。

その後一年間の浪人生活を経て上智大学に入学しました。
しかし、夢をまっすぐ追いかけるほど私は強くありませんでした。
なんで再び政治の道に足を踏み入れる決意をしたのか。
そこに至るまでにも多くの方が背中を押して頂きました。
時間があればいずれ書き記したいと思います。

これが、私が政治を志したきっかけです。
大好きだったじいちゃんとの約束を果たしたい。
そして、じいちゃんのように人のために尽くしたいと思っています。
私の範政という名前は祖父から頂いた名前です。
常に清く正しい模範的な政治、多くの人の為になる範囲の広い政治。
これを目指せと背中を押されている気がします。

祖父が政界を引退して15年以上経ち地盤はありません。
ただ、政治家として1番必要な志を継いでいます。
愛する熊本、日本の為に。

熊本市議会議員選挙
中央区候補予定者
東家範政

 

 

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