3.11日本人の価値観が大きく変わった日(続き)

2015-03-12


東日本大震災、当日のことを振り返り向き合う
良い機会となりました。
何度も振り返り、語り継ぐ必要のあることだと思います。

以下続き

電話をかけても繋がらない。
休むことすら伝えられない、

「歩いてバイトに向かおうか。何時間かかる?どうしようか。
そういえば、今日は何もなければバイト終わりに車で名古屋に行く予定だった。」

 

借りてきた車があることを思い出し、先輩と2人車で仕事に向かう事にしました。
車に乗ってすぐ渋滞にはまり少しずつしか進まない。
普段はバイト先まで30分もかからない道を
いつ着くのか分からぬまま少しずつ進みました。

ふと歩行者がとても増えている事に気が付きました。
我々は中心部に向かっており、歩行者は皆反対方向に向け歩いておりました。
老若男女関係なく、携帯も繋がらず皆不安を抱え黙々と歩いておりました。

帰宅難民。

東京の交通機関の要である鉄道が止まると東京は麻痺してしまいます。

刺激に満ち、全てを満たす花の都。
日本最大の都市であり、世界有数の都市である東京。

東京の致命的な弱さがこのような形で露呈するとは、
自分達が大きなリスクのある場所で生活していると初めて認識しました。

1時間近く経った頃、ようやくバイト先近くに差し掛かりました。
まだ渋滞がひどく、着くのにどれくらいかかるか分からない。
先輩に車を任せ、私は車を降り走ってバイト先に向かいました。

某フライドチキンのチェーン店。
クリスマスを彷彿させる程、人が溢れかえっていた。
遅れた旨を謝罪、「良く来たな。」(後に救世主が来たと言われました。笑)

厨房に入る、忙しい。
ひたすら忙しく、仕事を終えた時には12時を超えていた。
震災の話をする余裕もないほどでした。

その頃になると携帯が少しは繋がるようになっていました。
しかし、電車はまだ止まっているようでした。

「車は弟が回収したようだ。迎えに来てもらおうか。
とりあえず現状確認が先だ。
外に出ると、まだ道が混んでいる。
都合よく私が使う路線だけ復旧していた。電車で帰ろう。」

帰宅途中にコンビニにより夕飯を物色しました。
コンビニにものが無い。
特に日持ちのするインスタント、パン、飲み物はほとんど無く、
飲み物はジュース類が余っており、水お茶はありませんでした。
この後しばらくは買占めに苦労することになりました。。

 

家に戻り、テレビをつけ地震の様子を見ました。

「どうなるんだろうか。
元の様に戻る日は来るのだろうか。
言い知れぬ不安を抱え、少しでも被害が少なく済みますように」

こう祈るしかない自分を歯がゆく感じました。夜は長く気が付くと朝でした。

 

これが、私の3月11日でした。
特に大きな被害を被っておりません。
だけど、人生の価値観は変わりました。
あの日のことは絶対に忘れることがありません。

震災で被害に遭われた方々のご冥福をお祈りし、追悼の意を表します。

 

震災から4年経ち、まだ仮設住宅での生活を余儀なくされている方がおります。
本当に困っている人たちが
1日でも早く以前の暮らしに戻して欲しいと切に願います。

 

 

震災に関して、原子力発電について少し述べさせていただきます。

私が立候補予定者なので、アンケート記入する機会が増えてまいりました。
その中で、原発についてどう思いますか?という質問がありました。

私は原発を必ず無くしたいと考えています。
ただ、即刻原発を廃炉にすることは賛成しません。

今すぐ廃炉にして、
再生可能エネルギーの発電施設を建設して、
足りない電力分は化石燃料を輸入し、火力発電で補う。

これはあまりにもコストがかかりすぎると、2015年3月時点で私は考えます。

次世代に安全を残すことは大事です。
それと同じくらい、次世代に負債を残さないことが大事だと考えます。

 

地球に負担をかけない、美しいライフスタイルの実現。
その為には、歯を食いしばって耐える時期が必要です。

良薬は口に苦いし、一度しゃがまないと高くは跳べません。
皆様と共に明るい社会実現の為に努力していけたら至上の幸いです。

 

熊本市議会議員選挙
中央立候補予定者

東家範政

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